Beautiful sea Ring 1話
<プロローグ>
私の中での【彼】との記憶はたった一瞬──
ちいさい時に私は海で溺れた。
息が出来なくて苦しくなって気を失う瞬間、光の渦に巻き込まれた。
そして次にある記憶が【彼】だった。
『大丈夫?!』
其の言葉と目にいっぱいの涙を溜めた瞳が印象的な【彼】
【彼】に関しては其のふたつの事しか覚えていない。
薄っすらと残っていた記憶では、其の後両親が駆けつけて来て私は病院に連れて行かれた。
其処でまた記憶は途切れる。
そして其れっきり…其の出来事の記憶は其処で終わっていた。
私はどうして溺れたのか?
どうして【彼】が目の前にいたのか?
そもそも【彼】とは誰なのか?
事故の前後を全く覚えていない。
思い出せないのだ。
あの【彼】の
翡翠色をした大きな目に涙を湛えた泣き顔しか私は覚えていないのだ──
ピピピピピピピピピピピピィ
「…うるさい」
カチッ
ピピピピピピピピピピピィ
「…うるさい」
カチッ
ピピピピピピピピピピピィ
「………」
ピピピピピピピピピピピィ
「あぁっ、もう!起きればいいんでしょう!」
ガチッ!!
「なんなのよ、この目覚まし時計!止めても止めても鳴り続けるなんて」
「当たり前だよ。寝ぼすけみーちゃんのために僕が作ったんだからね」
「はぁ?!」
突然聞こえた声に驚き、部屋のドア付近を見ると其処には弟の朝陽(アサヒ)が私の部屋の中を覗き込んでいた。
「朝陽、なんでこんな目覚まし時計作ってんのよ」
「だって毎朝お母さんがみーちゃん起こすの大変だって嘆いていたからさー其処は力になりたいジャン?」
「だからってこんなの作らないでよ」
「えぇーめっちゃ良く出来た目覚まし時計なのにぃー」
「迷惑だよ!」
「…煩い」
私と朝陽が云い合っている声に加えて今度は朝陽とは違う声が聞こえて来た。
「あっれー夕雅(ユウガ)今朝は早いねー」
朝陽が声を掛けたちょっと不機嫌な顔をしているのも私の弟だ。
「…朝陽は朝からテンション高過ぎ」
「夕雅がテンション低いんだよ」
この弟達、双子のくせに性格は名前の通り陽と陰である。
「…はぁぁ~今日から新学期なのに気分最悪だぁ」
私は憂鬱な気分を抱えながらまだ云い争いをしている弟達を無視して部屋を後にした。
珈琲のいい香りが漂うキッチンに行くと鼻歌を唄いながら母が目玉焼きを焼いていた。
「あっ、みーちゃん、おはよう。今日は早いね」
「おはよう。朝陽のくだらない発明時計に起こされた」
「くだらないって…結果的には早起き出来たからよかったじゃない」
「よくない。まだ6時過ぎじゃん」
「普通其れぐらいに起きるんだよ?」
「あーもう、珈琲飲む!」
「はいはい」
朝は母が淹れてくれる珈琲と洋風の朝食を食べる。
朝食だけは家族全員揃って食べるのが我が家のルール。
これは父が決めた約束事だ。
自営業の我が家は朝しか家族全員が揃わないからだ。
「ご飯食べたいけど…お父さんは?」
「日課の散歩。前の海岸歩いていると思うけど」
「じゃあ呼んで来る」
「車に気をつけてね」
「もう、いくつだと思ってるの」
「注意しすぎる方がいいの」
「…」
母はいつまでも小さい子どものような感覚で私に接してくる。
(まぁ…そういうの厭ではないんだけどね)
家の外に出ると寒気を含んだ海風に晒された。
「春とはいえまだ寒いなぁ~」
上着を着てくればよかったかな、と思いながら対向車線の向こう側へ注意深く渡って行く。
海岸へ下りるための階段がある処まで行くと人影があった。
(お父さん…じゃない)
ちょっと気後れしたが構わずに近づいて行く。
随分背の高い若い男の人だ。
相手もジッと私を見ていた。
「…おはようございます」
もしかしたら近所の人かもしれないので一応挨拶をする。
すると相手は一瞬驚いた顔をしながらもゆっくりと
「…おはょう、ござぃます」
と返してくれた。
ちょっとイントネーションがおかしい。
(外人?)
見た目はまるっきり日本人だけれど
(あっ)
相手の顔をよく見て気がついた。
目が翡翠色だった。
そう思った瞬間
「っ!」
急に頭に酷い激痛を感じ、思わず其の場にしゃがみこんでしまう。
「! 大丈夫?!」
男の人が私に駆け寄って来て体を支えてくれる。
『大丈夫?!』
其の言葉を聞いた瞬間にも酷く頭を殴られたような痛みを感じた。
「痛っ…うぅぅ~~痛い!~~何…これぇ…」
「どうした?!」
遠くから聞き慣れた声が聞こえた。
(お父さん…)
きっと遠くからでも私の異常な行動が見えたのだろう、ものすごい勢いで駆け寄って来た父に抱えられた。
「一体どうし──」
父がそう云いかけて近くにいた男の人を見て絶句した。
「! 君は」
「…Entschuldigung」
其の男の人は何処かの国の言葉で何かを云って其の場から離れて行った。
私は何がなんだか訳が解からずただ頭を抱えるしかなかった。
「っ、大丈夫か?!」
「ちょ…耳元で大きな声出さないで!」
「あっ、ごめん」
不機嫌な気持ちを其のまま父にぶつけてしまってちょっと申し訳ないなと思いつつ、私は先ほどの男の人の去っていく後姿を眺めていた。
「…あの人」
「え」
「目が…翡翠色だった」
「──美海」
「あっ、もう大丈夫だよ、お父さん、ひとりで歩けるから」
そう、いつの間にか先刻までの酷い頭痛はすっかり治まっていた。
(なんだったんだろう?)
まだ不安気な父を安心させるために元気な様子を見せながら私は父と共に家に戻った。
其れが
私と【彼】の出逢いの朝だった。
いや、正確には再会──だったけれど。
そして
私と【彼】との長い話が此処から始まって行くのだった──

